週刊ザコいおたく

早稲田大学初のおたく情報誌を刊行するサークル「ギークタイムズ編集部」の公式ブログ兼電子版です。毎週金曜日に更新します。

アニメ「魔法戦争」を考える

 アニメオタクにとって、季節の節目というのは春に限らず別れの季節だ。こうしている間にも、2014年1月から放送を開始した1クール作品は続々と最終局面に突入している。今まで積み重ねてきた描写の数々がドミノ倒しやピタゴラ装置のように互いに作用し、物語は幾重もの感慨をまとってクライマックスへ駆け抜ける。ああ、《面白いアニメ》ならば、確かにそうあるべきであろう。けれどもそうじゃないヤツらだっているのだ。しかもこの冬に関して言えば、私の想定外の領域を悠々と闊歩する『怪物』が潜んでいた。

 

 

 その怪物――『魔法戦争』とは、MF文庫Jから刊行されている同名のライトノベル(著:スズキヒサシ アニメ放送開始時既刊7巻)をアニメ化した作品だ。やはりと言うべきか、見ている人が少ないようなのであらすじから説明しよう。本作はタイトルの通り、善と悪の魔法使いたちによる戦いを描いた物語である。舞台となるのは、かつて邪悪な大魔法使い・竜泉 和馬によって行使された超絶技巧特異魔法「ラストレクイエム」による滅亡を防ぐため、魔法使いの戦場となる「崩壊世界」と普通の人々が暮らす「現存世界」の2つに分かたれた世界だ。主人公であるところの七瀬 武は当初現存世界で普通の高校生として過ごしていたが、魔法使いの少女・相羽 (あいば・むい)の失策で自らも魔法使いと化してしまい、普通人と魔法使いの共存を目指す組織「ウィザードブレス」が管理する「すばる魔法学院」に編入学することになる。そこで彼は世界の真実を知り、否応なしに《魔法戦争》に巻き込まれていく……ということになっている。

 

 ここまでを見て察しがつくかもしれないが、魔法戦争の基本的な作風はコテコテの厨二ラノベだ。突如として現れたヒロインによって主人公は非日常の世界へ誘われる。固有名詞が乱舞し、敵も味方も戦闘中にキザな台詞や当て字たっぷりの詠唱を連発する。有名どころで言えば『とある魔術の禁書目録』や『灼眼のシャナ』、同時期のアニメで言えば『ストライク・ザ・ブラッド』などに類する作風と言える。個人の好みは置いておいて、ライトノベルのアニメ化というオタクの青少年をメインターゲットに据えた商業形態において王道を突き抜けるのがこの系統の作品に違いない。

 

 だがそれだけなら、私が魔法戦争をこれほどまでに重く評価することはなかった。ここからはその本質的な点――すなわち、何が「ヤバイ」のかを述べていこう。

 

 結論から言うと、このアニメはあらゆる点でメチャクチャに壊れている。まずキャラ設定だが、学院の特進コースに所属しているはずのメインヒロインが戦闘では大して役に立たず、あまつさえ風邪を引いただけで発情したかのように主人公に擦り寄ってくるポンコツである。主人公以外の男性に極度の恐怖症を抱いているという設定のサブヒロインが、ちょっと良くされただけで敵組織の男に惹かれ、最新話ではついに敵アジトの中で遭遇した初対面の男に手を引かれてホイホイとついていく。常識人かと思われていた親友ポジションの少年も、妹にふとしたはずみで魔法を放って危険と隣合わせの魔法使いの世界に引き入れてしまったことを告白しはじめる。敵組織のボスはウィザードブレスの暗部を知って反乱を起こしたはずなのだが、いつの間にか人間を滅ぼすことを目的にし始めていて、この間のギャップを埋めるような説明は一切ない。このように性格の描写がダメダメなので、しまいには「銀髪僕っ娘ロリババア」の学院長が設定の濃さだけでちょっと魅力的に見えてくる。そう、魔法戦争を見続けていると、視聴者の作品づくりに対する感覚が徐々に壊れていくのだ。

 

 キャラクターだけでなく、世界観設定も率直に言ってガバガバだ。魔法使いは現存世界では魔法を使えないようになっているのだが、そのシステムが「直接の封印」ではなく「他の魔法使いに魔法をかけると魔力を失い、普通人に魔法をかけると魔法使いに変えてしまう極めて周りくどい効果を持った結界」を張るという、どう考えても主人公を魔法使いにすることだけを考えたものになっている。作者も扱いに困ったのか、終盤の展開でこの結界を保持している魔法使いが初登場したと思いきや敵組織に殺された。2つの世界の設定そのものも、特撮ヒーローで言う「採石場」のような、戦闘専用の場所を用意するためにしか機能していない。しかも裏を返せば現存世界にいれば大丈夫ということであり、作品から緊張感を削ぐ役割を果たしてしまっている。このあたりの適当さはシナリオにも波及しており、話の間にテロップだけで数ヶ月単位で時間が飛ぶ展開が何度もあったり、本格的な魔法戦争が始まりサブヒロインが攫われた後に、主人公がいきなり険悪な関係だった母親と和解してキャラソンをバックに悠長な特訓を始めたりしてくる。「俺が書いた方が面白くなるんじゃないか」と思ったそこの貴方も、あながち間違っていないかもしれない。

 

 しかし多少設定にアラがあっても、作画さえ良ければ――という希望を、『戦争』はたやすく打ち砕いてくれる。バトルシーンでは、一方が攻撃を出すのにもう一方はまったくの無抵抗、という初代ドラクエ並みのシンプルな戦闘がこの時代に繰り出される。日常シーンの作画も全体的にヘタレており、カットに脈絡がないので、省略された部分でキャラがおかしな動きをするのは日常茶飯事だ。アップシーンでパースが崩れメインヒロインの腕が奇形になった時は、実況TLでも諦めと憐憫がないまぜになった笑いが起こった。救いといえば、EDはナノの楽曲も石浜真史が手がけるアニメーションもスタイリッシュで格好いい、というぐらいしかない。(ちなみに、OPも曲は悪くないのだが絵が致命的に動かない)

 

 さて、ここまで魔法戦争のダメな所を述べ続けた。だが実のところ、もっともっと述べることもできる。全話レビューをしなければ語り尽くせないほどこのアニメはクソ要素にあふれている。魔法の名前は中学生が辞書をひいて調べたような英語で致命的にダサい(だって「ラストレクイエム」だぜ、「ラストレクイエム」!)。魔法が系統立てられている意味も特に無い。車に乗った状態で本拠地にワープしたり、魔法陣を担架代わりにしたり、その使い方もどこか間違っている。作り手も原作レベルで諦めているのか、次回予告はCV東山奈央の「魔女っ子マホ子」というふざけたSDキャラがぐんにゃりしたBGMをバックに喋り倒す、というものだ。どう考えても、普通のアニメではない。

 

 だが私は、このアニメの「普通ではない」ところに惹かれてしまった。なにせ、2000字レポートならとっくに字数オーバーしているぐらいの突っ込みどころを『魔法戦争』が提示してくれたのだ。作画・作劇・キャラ造形。様々な角度からこのアニメを攻めることができる。そして視聴者がこのアニメに対して持つことができる角度は、今までに「良い」と思える作品に多く触れているほど増えるだろう。何故こうなってしまったのか、普通ならこうするのではないか、設定をこう補強したら面白くなるのではないか、そもそも何故アニメ化されてしまったのかと、魔法戦争は視聴者に疑問を持ち創意工夫することを推奨する。この間違い探しゲームを楽しむために必要なのは、紛れも無く「おたく」的な素養である。だからこそギークタイムズのブログでこの作品を取り上げさせてもらった次第だ。

 

 間違っても、魔法戦争が面白いアニメだと言うことはできない。無料の公式動画が初回分しかない作品を今から追え、と命じる気にもならない。だが、視聴者の努力に寄って面白くすることができるアニメなのは私が保証しよう。このマイナスの塊のようなアニメからどれだけの発見を得られるか? エンターテイメントの最果てにあるようなクソアニメを反面教師にして、どんな話を書くことができるのか? 魔法戦争はいつだって、視聴者との間に『開戦』する時を待っているのだ。そして万が一、今まで魔法戦争を今まで見てきた猛者がこのコラムを読んでくれているのなら、首都圏では3/27()深夜に放送される最終回をともに見届けようではないか。

 

 それではその時まで、魔法戦争マンたちに平穏のあらんことを。

 

 (編集員K)