週刊ザコいおたく

早稲田大学初のおたく情報誌を刊行するサークル「ギークタイムズ編集部」の公式ブログ兼電子版です。毎週金曜日に更新します。

童貞こじらせラスボスの肖像

 バトルものアニメに有りがちなラスボスに“童貞こじらせラスボス像”というものが存在する。と言っても、これは僕が勝手にそう呼んでいるだけなので仮にも人に読んでもらう場所であるここではそれなりに説明が必要だろう。僕なりの簡潔な定義を示すとすれば「世の中に絶望して世界の終末を企むラスボス」とでも言った所だろうか。これは「自己実現が叶わない絶望を世界・社会への絶望に転移させて地球に隕石を落とすパターン」や「どうしようもない世の中で唯一信じられる最愛の萌えキャラに再会する為に特務機関を立ち上げるパターン」、「環境汚染が起きる原因は人間にあるので人類絶滅を企むものの弟子にぶち殺されるパターン」などなど様々に分類可能だ。

 彼らは様々な理由から社会や世の中に絶望し、その破滅を企む。だが、壮大で一見完璧な彼らの野望は大抵の場合最終的に失敗する。未来への希望と可能性を信じる主人公に阻止されるのだ。こうした「希望に燃える主人公-絶望するラスボス」の構図を持つアニメは意識して探すと山ほどある。そこで共通するのは、ラスボスが童貞的な特質(世を呪っている、非リア、ぼっち等⇒閉鎖的)を備えているのに対し、主人公は非童貞的(明日への希望を抱いている、彼女持ち、仲間が多い等⇒開放的)である点だ。言ってみれば、これらは童貞をこじらせたラスボスが主人公の非童貞力によって打ち倒されるアニメの系譜なのである。概説が終わったところで、いくつか具体的なタイトルを挙げながら“童貞こじらせラスボス像”を見ていこう。尚、本稿ではストーリーの説明を優先してネタバレに関する配慮を一切行わないのでその点注意されたい。

 

機動戦士ガンダム 逆襲のシャア

 ロボットアニメ映画の金字塔として逆シャアの愛称で親しまれる本作は主人公アムロ・レイとライバルであるシャア・アズナブルが積年の因縁に決着を付ける物語である。シャアは幼少期にパパを暗殺されてママと引き離された時のトラウマで小さい女の子しか愛せない童貞だ。しかもこの人、小さい女の子に自分のママになって貰いたい願望を持っている。当然そんな恋愛がうまく行くわけもなく、大好きだった女の子のララァ・スンはよりによってライバルのアムロ・レイになびいてしまい逆上した彼はうっかりララァを殺してしまう。本作でもよりによって敵である連邦政府高官の娘を成り行きで攫って自軍の最終兵器のパイロットにしてしまう始末。攫われた少女クェス・パラヤはシャアに不甲斐ない自分のパパ、アデナウアー・パラヤの代わりになって貰えることを期待してシャアに擦り寄るが、シャアはあくまでもママを求めているので彼女の気持ちを「迷惑」と言い捨てる。そして彼は自分を不能にしたママへの愛と憎しみをジオニズムに投影して小惑星アクシズを母なる地球に落下させることで「愚かな地球人」の粛清を行おうとするのである。

 一方で彼のライバルであるアムロ・レイは模範的に成熟した男性として描かれる。ガンダムシリーズの第一作である『機動戦士ガンダム』の最序盤では心身ともに未熟だった彼は、一年戦争とその後のグリプス戦役を経て「立派な大人」に成長し、小説版『ベルトーチカ・チルドレン』では子供まで作っている。そんな彼はシャアによる愚かな人類への粛清をエゴに過ぎないと断罪し、落下寸前の小惑星モビルスーツで押し出そうとする。結果的に小惑星は謎の燐光と共に彼方へと飛び去るが、これはまさに人の可能性が示された結果なのである。こうして自分、そして人類への絶望によって地球滅亡を図った童貞であるシャアは立派な大人であるアムロによって打ち倒されたのである。

 

ポケットモンスターXY

一つ目が比較的古い時代の作品だったので次は新しめのものを。ポケモン自体の世界観については最早説明不要であろう。最新作XYではフラダリという男性がラスボスとして登場する。彼は元々慈善事業家であったが、徐々に人類の救いようのない側面を直面するようになりこれに絶望してしまう。そして自身の莫大な資産を投じて古代の最終兵器を発掘し、戦争の道具となるポケモンと大部分の人間を絶滅させることで「選ばれた人間」だけが住む理想郷の建設を敢行するのである。彼もまた、人の死に乗った改革しか出来ない人間だった。その計画の根底には絶望が孕まれており、可能性の否定を行うことでしか人類に未来はないと考えたのである。彼は現行の世界を「醜い世界」であるとし、「美しい世界」の成立を希求している。つまり、欠陥の無い完全な世界を望んでいるのだ。しかし、古事記や聖書を紐解くまでもなく人間は根源的に単体では不完全な生物であり、寄り添って社会を形成することでしか生きていくことが出来ない。そして我々は言葉を獲得した瞬間から他者との対話を通して可能性を拓くことによって生きていくことを運命付けられているのである。したがって、我々の社会は常に不安定で未完成なものだ。完全性の希求は人間性の否定であるが、彼は最後までそれを認められなかったのである。(以上から導き出される推論として「完全性の否定としてXYでは乱数調整が不可能な仕様になった」というマガジンミステリー調査班ばりの超理論を思いついたものの、あまりにも荒唐無稽なので括弧の中に封じておく)

 

以上、些か駆け足な紹介になってしまったが童貞こじらせラスボスの肖像の一端をご理解いただけただろうか。機会があればまたの機会により体系的な紹介が出来ればと思う。本稿がアニメを鑑賞する上での一つの見方を提供出来たならば、それ以上の幸福はない。

 

 

 (編集員A)